通り魔コメントが来た話

先日、僕のギター動画に「通り魔」が来ました。
そう、あの通り魔的クソコメです。
今回はせっかくなので、怒る代わりに解剖してみました。同じ境遇のクリエイター仲間に、この経験を共有したいと思います。
何が起きたのか
ある日、僕のギター動画のコメント欄にこんな書き込みが。
「ビブラートを理解していないみたいなので、まずは声帯でビブラートを学んでください」
…え?声帯?ギターなんですけど?
しかも続けて「指の動きが雑すぎる」「上下ではなく左右に揺らすべき」と。
技術的な指摘の前に、「理解していない」という決めつけから入っている。これ、対等な議論じゃなくて、最初からマウントを取りに来てますよね。
なぜこれは「クソコメ」なのか
僕がこれを「クソコメ」と呼ぶ理由は、内容が間違っているからじゃないんです。
誰が言っているのか分からないからです。
コメントって、リアルで言えば隣の家のドアをノックするようなものです。
普通なら:
- ドアのブザーを鳴らす
- 「私はこういう者です」と名乗る
- 「少しお時間いいですか?」と許可を求める
- それから要件を伝える
でも今回の批判者は、ノックもせずにいきなりドアを開けて「お前のビブラートは間違っている!」と入ってきたようなものです。
シンプルな見分け方

僕はこう考えています。
同じ「ビブラートを直した方がいい」でも、言う人によって価値が変わる。
何者かを明かさない人に、責任を語る資格はない。
これが僕の結論です。
変なコメントが来たら思い出してほしいこと

クリエイターの皆さんへ。変なコメントが来たときの心構えです。
1. フィルターを持つ
実績のない匿名アドバイスは、ノイズとして処理していい。全部真面目に受け止める必要はないです。
2. 反応は最小限に
皮肉で返すのも手だけど、無視が最強の防衛。相手は反応が欲しいんです。
3. 「楽しさ」を守る
批判者の言う「上達」に惑わされない。趣味でやってるなら、楽しさが一番大事です。
同じ苦労を知る仲間には言えない
一つ気づいたことがあります。
今回の批判者のチャンネルには、自分の演奏動画がなかった。
これ、偶然じゃない気がします。
僕の経験では、ギターを弾く者同士——同じ苦労と楽しさを知っている仲間には、マウントを取るような指導は起きない。
不要なアドバイスの押し売りもない。
なぜか?
自分も弦を押さえて、ビブラートに苦労して、練習して、それでも上手くいかない日があって。
そういう経験を共有していると、他人に「お前は分かっていない」なんて簡単に言えない。
むしろ「わかる、難しいよね」「俺はこうしてるよ」という横からの共感になる。
でも今回の批判者は上から来た。
それができてしまうのは、自分がプレイヤーではないから。
同じフィールドで戦っていないから、批判のリスクを知らない。だから気軽に他人を批判できる。
「察する」の逆転現象

ちょっと話が大きくなりますが、最近こんなことを感じています。
普通、「察する」って年長者の方が得意だと思いますよね?
人生経験が豊富だから、空気が読める。若者は経験が浅いから、察せない。
でも今回は逆でした。
僕の方が「この場でこの言い方はおかしい」と察している。
そして批判者に「察してくれよ」と思っている。
でも批判者は察せない。「正しいことを言えば感謝されるはず」と信じている。
ベテランなのに察せない。若い方が察している。
この逆転、実社会でも見かけませんか?
地位や年齢を重ねて「無敵」になったベテランが、周囲から指摘されなくなって、どんどん暴走していく。
オールドメディアが衰退した理由も、根っこは同じ——「察する力」の喪失です。
変なコメントは「解剖」するといい

というわけで、今回の経験を解剖してみました。
結論:この論争はギターの技術ではなく、「認められたい欲求」と「侵害されたくない自尊心」の衝突でした。
画面の向こうにいるのは、鏡です。
良いコメントは、技術ではなく、リスペクトから生まれる。
皆さんも変なコメントが来たら、怒る前に一回、解剖してみてください。
意外と面白い発見があるかもしれません。
動画版はこちら
この考察をより詳しく解説したポッドキャスト動画を作りました。
▶️ クソコメの解剖学:通り魔的アドバイスの正体【YouTubeコメント欄の闇】
スライド付きで分かりやすくまとめています。ぜひご覧ください。
同じ経験をした仲間がいたら、シェアしてもらえると嬉しいです。
