以前、矢沢永吉さんが言っていたのは本当だなと最近すごく感じます。
- お前達には”敵”がいる”苦労したことないこと”だ
- その敵はいつか油断していると牙をむいてくるぞって
- 真正面から牙を剥いてくるぞ それが何か”敵”を教えるぞ
- ”苦労したことないってこと”
何を言ってんのコイツと思う人。あなたは考えることを極力避けていませんか?
本質を理解することはせずに「簡単な方法だけ教えれよ」と普段から楽することばかり考えていませんか?
Google検索が誘導しすぎている。本質を理解するために調べようようとしても、これが答えだと言わんばかりにリンクを踏まずに回答が目に入るような設計になってしまった。
調べるって作業すら無くして、条件反射レベルまで回答が早く出るようにしてしまった。でも、これは知りたいことの本質ではない。そう思って調べ進める人がどれくらいますか?
便利って何なんでしょうか?
効率が良いってどういうことなのでしょうか?
勉強するってどういうことなのでしょうか?
人間が自分で判断をしない方向へ技術が進んでいるように思えます。しかし、その技術を発想したり設計している人は考えている。自分の考えについて、他人の考えについて判断して世の中に技術を送り出している。
一部の人間の想像によって、多数の人間が考えなくなっている。
嫌なことから目を逸らし快適な環境だけが欲しいだけ
世の中は、自分に負荷がかかること”ストレス”を感じると、SNSから派生した記事を作成し「生きた言葉」として世に放つ。「生きた言葉」として放たれた言葉は、まるで多数の民意であるかのように情報として人々に認識される。
こうした個人の些細なつぶやきを利用した記事が氾濫している。
ストレスを排除する動きが活発になればなるだけ、ストレス耐性を持たない人間が増えるのではないだろうか?
ストレス耐性がない人間とはどのような人間なのか考えてみた。
努力や苦労を排除して、他人の作ったマニュアルを忠実に再現している自分を優秀だと思いこむ。自尊心を乱すことを嫌い自尊心を乱すような出来事を否定する。心は極端に弱いが世の中に対する振る舞いに遠慮はない。
オンラインとオフラインの境目がなくなり、作られた情報で操られ「考えるチカラ」も失っている。
誰に操られているのかわからないが「不平不満を吐く困った操り人形」は、まだ本気を出していない天才様として関係各所で割れ物を触るように箱入りにされている。自身の不甲斐なさはさておき、己の自尊心が傷つこうものなら”ハラスメント”という言葉で応戦してきそうだ。
時間の流れは平等だから、苦労や努力を惜しまない人間は自分の頭で考えて進んでいく。過程で手に入れたものは大切な財産となり大きなチカラとなるだろう。
いつの時代もやる奴はやる。やらない奴はやらない。
ある日、突然、どでかいツケがまわってくるかもしれませんよ。