他人に何かをレクチャーする。仕事でも趣味でも共通することですが、今回は、実際に膝をつき合わせてレクチャーする話ではありません。
今回の気軽に「他人に教えよう」なんてやめなさいって話は、SNS等で知り合った「顔も知らない名前も知らない他人」とか、人間的に好きではない人に対してのお話です。
なぜ?あなたのお願いを聞かないといけないの?
ギターの動画をSNSなどに投稿していると、コメント欄に批評では「要求」が書き込みされることがあります。
- 曲のコードなんだけど君が演奏していない部分も教えて
- 曲のコードを教えて
- 曲のTAB譜は欲しいんだけど
- 曲のTAB譜を載せてよ
- 僕が探さなくても観れるように、君の動画を僕のアカウントにタグ付けしてください
コレ見てどう思います? 知らんがなあ(笑)なんでそんなことをしなきゃならないのですか?私は生きている人間なのですが「まるで召使い?奴隷?AI?」のような扱いを受けるのです。なかにはパッと見「丁寧な頼み方」をしているように見えるけど、よくよく考えてみると「どうしてそこまでしてあげる必要があるの?」と思うようなものまであります。
コメントしておけば「こいつ返信して対応するかもしれねえし」という悪い人間像しか浮かんできません。
無礼な依頼だからそう思うのかもしれないが、人間って、いや、日本人ってこんな人たちでしたか???
安請け合いはしてはいけません。自分を無償で追い込んでどうすんの!ということで皆さんもお気をつけ下さい。それよりも困るのが「無敵な永遠の初心者」です。
「ギター初心者」っていつからいつまで?
「永遠の初心者」と書きましたが、仕事でも趣味でも「はじめて間もない時期」や「要件についても知識がほとんどない状態」「基礎を勉強中」のような段階を「初心者」と呼ぶのが一般的です。
楽器の場合だとどうでしょうか?
ギターに限らず「楽器の演奏」においては、幼児なのに小学生なのに演奏は大人以上に上手い!なんてことが当たり前の世界です。ですので「ギター歴○○年」の○○年がテクニックと比例すると考えるのは間違っています。
では「ギター初心者」っていつまで?って疑問が浮かぶのですが、私は「半年程度」かなと思っています。半年練習しても弾けるような曲は限られていたり、まったく弾けないかもしれません。しかし、弾けないことイコール「初心者」ということにはならないのではとも思います。
理由は「最初に思い立った考え。最初の決心。」があってギターを始めた。だからその気持ちがある間は「間違いなく初心者」だと思います。しかし、半年も経過したあとの心境はいかがでしょうか?初心ではないですよね!
そもそも「長くやっているから弾ける」ということにならない世界。
「弾ける・弾けない」が「ギター歴」とイコールではないのですから、はじめてから1年以上経過していたら「初心者」と名乗るのはちがう。「初心者」ではなく「初級レベル」「初級クラス」という言い方で良いと思うのですが、どうでしょうか?
何年もの間「初心者」と名乗ることをどう考える?
仕事でも趣味でも、初心者に共通している考えがあります。
- 初心者だから許して欲しい
- 初心者だから大目にみて欲しい
- 初心者だから優しくして欲しい
- 初心者だから教えて欲しい
本当の初心者なら「そうしましょう!」「誰だって初心者だった頃はあります!」「気持ちわかります!」となるのですがそうならない場合があります。
「自称 初心者」と名乗っている方々の例
- SNS上のコミュニケーションでは初心者扱いはされたくない(お互い頑張りましょうみたいなこと平気で言うけど信頼関係もないのに)
- どちらかといえば、知ったかぶりが激しい(知識の披露で間違えている)
- 作成したコンテンツに関しては「初心者扱い」をして欲しい(自尊心を傷つけた相手を憎む)
その言動から「この人あんまり分かってないな」と思って「少し助けてあげようかな」と、思うのはいけません。
それはあなたが親切だからなのはわかります。しかし、このようなタイプの人は、自分という存在が他者から認識されていることが重要なのであって、アドバイスを求めるような言動があっても「本当の目的はそこには無い」のではと感じます。
理由としては、問題解決に対する回答が第三者から得られても、自分の方法は変える気がなく上記の1,2,3を繰り返すだけだからです。あなたの貴重な時間や親切な気持ちは、あなたの大切な人に使った方が良いです。
見ず知らずの相手に対して、時間や気を遣い、時には嫌な気持ちになることもあります。しかし、それはあなたが望んで行っていたことで「相手は独り言」を言っていたにすぎません。
実社会においても人間としてリスペクトできない方に、あなたの貴重な体験から学んだことを教えてあげる必要はありません。
上手くいっていない人が上手くいかないのには理由があります。
しかし、上手くいかない理由があっても方法を変える気持ちがないのです。
他人のアドバイスを受け入れることができるのであれば、ちがった結果が出ることもあったと思います。しかし、自分の上手くいかない方法を継続することが重要で、自分にとって気持ちの良いことなのです。結果を出すことは求めていませんし望んでもいないのです。
親切ぶって間違った相手に、お節介で親切に何かを教えようとするのはやめましょう。