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人は悩んでいなくても簡単に死んでしまうかもしれない

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暗闇の中をひとりで目的もなく歩き続けることは、死に近づくことに似ているのでは?わたしは、死ぬ理由がない人が急に旅立つ理由が少しだけわかった気がする。

人ひとり歩いていない暗い道を歩きながら何かの入り口を見たような気がする。

疲れた心にあまく忍びよる闇

案外、理由とかでなく、ちょっと疲れたなと思っただけで、人は簡単に死ぬのかもしれない。

ゲーム上のミスならやり直しができる。「こうやるとダメなのか!それは知らなかった」では、もう一回試してみるか!

しかし、暗闇という現実は人間の思考に「夢ともちがう非現実的な休憩所」の存在を刷り込んでくる。「ちょっと休んでいかないか?」という具合にだ。罠にハマったら二度とはもどれない、本当の暗闇に落ちてしまうというのに、そんなことが頭に浮かぶように忍びよる。

暗闇というよりは「闇」と言ったほうが腑に落ちる。

今の日本は夜道の散歩には向いていない

腹立たしいことが続き、どうしようもなく頭を冷やすために歩こうと思った。ゴールも設定していなかったし、あてもなかった。暗くなるまで北に向かって歩いただけなのだ。

ひとは、他人や光との接点を失うと、死という感覚を意識するように設計されているのかもしれない。暗闇を歩き続けながら、きっとそうにちがいないと思った。

歩きつづけ、辺りに光が見えてきもまだ危うい感覚が残っている。自分自身の人生に関係のあった場所を選らんで歩き、ヘトヘトになってもどってきた。

なによりも怖かったのは、いくら道を歩いてもすれ違う人が誰もいないことだ。自分だけがさまよう現実ではない世界に来てしまったのかもしれない。

そんな錯覚にハマってしまった。

コロナの間に健康なのに亡くなられた方に似てないか?

日本中がコロナ脳になってしまい。他人や明るい世界との接点を否定している。記憶をつくるための日常を否定し、すでに思い出をたくさん持った人の人生を優先しようとしている。

若者に闇の中で耐えることを要求し、光を与えることを否定する。

コロナよりも孤独の闇の方がはるかに怖いと思う。