1つの正解があり。正解を導きだす方法を教わり、間違わないで解答する学校とはちがい、仕事は「その時点の状況から判断して、求められた結果になる回答を要求されます」場合によっては回答が時間と共に変化します。
ややこしいので、先に3つの言葉の意味を整理します。(グーグル日本語辞書より)
- 正解 正しい解答または解釈。
- 解答 問題を解いて答えを出すこと。そのこたえ。
- 回答 質問・要求などに対する返答。返事。
正解と解答は、学校で反復して訓練させられることです。回答は、社会に出てから直面することです。このちがいを会社側も、社会人になりたての人も整理する必要があります。
後輩に「正解と解答」を要求され、あたまで考えて「回答」してほしいと先輩が憤る。同じ「カイトウ」という読みでも意味がまったくちがうのですから、はなしが噛み合わなくても不思議じゃありません。
何が分からないのかワカラナイ
職場の後輩と話をしていて衝撃的だった言葉が「何が分からないのかワカラナイ」です。
仕事上で困っていることはないか?疑問や理解がむずかしいことがあれば言ってほしい。それに対する回答が「何が分からないのかワカラナイ」だったのです。
その当時は彼が言っている「何が分からないのかワカラナイ」が理解できませんでした。
だれかに雇われてする仕事は、成果として求められている結果を出すことです。「何が分からないのかワカラナイ」ということは、結果までの順番や方法についてまったく見当がついていない状態です。
「自分の仕事」と「他人の仕事」の間に大きな壁があり、壁の反対側にいる他人の仕事がまったく目に入らない状態だったのだろうと思います。
考え方や見識が壁で塞き止め(せきとめ)られないように読んでおきたい本
経験のマニュアル化
ゼロから何かをはじめるとき、誰かの指導や教科書があるということは心強いものだ。マニュアルをみれば誰でもできてしまう。はじめてなのにできてしまった。かんたんなのは良いけど、そんなに簡単なら購入したり、誰かに頼んでやってもらうなど仕事として続いていくのか疑問です。
例えば、毎回マニュアルをみながらつくるラーメンで商売ができるだろうか?
美味しいとされるレシピをマジメに実行し、美味しいラーメンができた。来る日も来る日もラーメンをつくりつづけた。ある日、美味しいラーメンをつくることができなかった。なぜだ?なにが悪かった?なにがいつもとちがう?
「なぜ?」「なに?」に気がつくことができる能力が経験です。
経験していないのに経験した人しか知り得ない知識を正解として提供してほしい。そんな圧力を感じることがあります。そんなにかんたんな訳ないよね!となるはずだったことが、そうならない流れになってきています。
「経験さえも反映された完璧なマニュアル」「すべてが網羅された、わからないがないマニュアル」
わたしはそれで良いと思っています。そこに限界があるのがわかっているからです。「経験さえも反映された完璧なマニュアル」「すべてが網羅された、わからないがないマニュアル」も、人間の五感をつかう仕事では意味をもたないことがあるからです。
人間の五感の代わりをする機械があっても、それを導入できる企業はごく一部でしょう。(センサーなどで計測して自動で動作を補正するようなシステム)
まったく苦労しないでゼロから仕事を習得できるようになるのは、少し先の未来だと思います。映画「マトリックス」で眠っている間に格闘技を習得したような、あのシステムが開発されれば、パッケージ化された技術を頭と体にインストールするだけです。しかし、それが現実となったときに、仕事という概念や体験という感覚が人間に残っているのか疑問でもあります。
多様な考えを知り、自分で体験することが大切
ミスをすることに慣れていない人は可哀想だ。ミスをしない自分・できる自分を誇りたいのもお疲れ様だ。ミスを認めない人は「何が分からないのかワカラナイ」と言っている人の中にも存在します。
ミスを認めることは現在地点を把握することです。
自分の置かれた状況を偽り、ちいさなプライドや自尊心を守るために、「できないこと」「未体験のこと」を極力さけて「完璧なマニュアル」を手に入れてから自分のチカラだけで成し遂げたかのように、成果に対する承認を求めるのは残念なことです。
誰かのつくった正解を解答して褒められることよりも、自分自身がつくったマニュアルで、誰かのためにお膳立てできることの方が素敵です。考え方の元になるように、たくさんの本を読み。チャンスがあれば手をあげ体験してください。すべてが経験につながります。