アイアムビリーバー |

夢想家でも出来たことやったこと

マニュアル作成とは彼らにプログラムすること

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正解とされる「やり方・答え」を暗記し、それを間違いなく実行する。そうすることで不具合・間違いを発生させずに、求めた結果を手軽に手に入れることができる。

時間を消費することもなく、自尊心を傷つけることもなく、決められたルールや公式に沿って、やり方・答えを導きだすだけで幸福な気分でいる。

いつから人は傷つくことを避け、最小限の労力で満足だけを手に入れるようになったのだろう?

誰かのつくったシステムの中で消費や行動を促され、操られていることに疑問を持たなくなったのだろう?

条件と行動のマッチングを他人というデータベースから聞きだす人達

誰かに答えを求めることで、自分自身は傷を負うことなしに求める成果を手に入れる人がいる。

お金を支払うことなく、成果につながる情報を手に入れることができるサービスがたくさんある。普段から無料で情報を手に入れていると、人に教えてもらうことが当たり前になり自分で考え調べることをしなくなる。

サービスを駆使することで自分の発想ではない答えを出しているのに、自分が考え提案したように錯覚してしまう。

何か行動を起こす時、自分のアタマの中で考えることもなく、上手く成果が出れば自分の手柄。成果がでない時は利用したサービスや他人のせいにする。常に自分はトラブルの外に存在しているので、トラブルには烈火の如く抗議する。

他人の起こしたトラブルは事細かく検証し、世の中を総動員して当事者を袋叩きにする。こんな世の中だから、ミス・失敗をするのが嫌で、誰からも叱られたり怒られたくない。常に正解だけで生きていけることを願う壊れた人が大量に育成されている。

お金と休みと平和だけがほしい

褒めて褒めて今キミがやっていることは素晴らしい。良くできたねと声をかけられて育った人と、正解だけが欲しい人は同一人物なのかもしれないと私は仮説しています。

いつから「褒めて育てる」といった教育・指導がもてはやされるようになったのだろうか?

 

「欧米で生まれた『ほめて育てる』思想は1990年代、日本に取り入れられました。その大きな理由は、教育界にも親の間にも『ほめて育てることで若者の自己肯定感を高めることが必要だ』という声が高まったことだったのです」。

自虐的高校生の激増と「ありのまま」の弊害 「ほめて育てる」は間違っていた!

あんなに褒められていた自分が、ひとりで何かをやってみたらまったく出来なかった。

そこで親切に手取り足取り教えてくれれば良いけど、怒られたり怒鳴られたら心が病んでしまう。

間違えや過ちを自らの考えでアジャストして成果を導き出した体験はあるのだろうか?

絶えず誰かに指導を求め、正解した際は褒めてもらいたい。

外食で美味しいお店を探すことができたり、レシピを見ながら失敗しないで料理をすることもできる。道に迷えば経路を検索することもできる。

でも、人生には自分の未来を幸せに導くようなグーグルマップはないし、死ぬまで間違わないように指示してくれる先生もいない。どこかで必ず間違えや過ちを克服するチカラも必要になる。

子どもや学生の期間に自分のアタマで考えてどんどん間違え、時には叱られて、それを克服しようと努力している時に褒めてほしい。最初から正解が決まっていて、その正解を暗記したことを褒めても世の中は困った方向にしか進みません。

 

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